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 私共の初代社長 魚津弘吉は、富山県滑川出身で当時数奇屋大工であった魚津忠平の長男として明治31年(1898)に 名古屋市中村区柳橋で生まれました。
尋常小学校を終えるとすぐに父のもとで修行を始めた魚津弘吉が堂宮大工の棟梁と成りえたのは、 高顕寺(名古屋市中区:曹洞宗)の山田奕鳳住職より任された「覚王山日泰寺鳳凰台」(名古屋市千種区)を 昭和2年(1927)に完成させたことがきっかけでありました。 また同じ山田住職に用命を受けた「大本山永平寺大光明蔵」を昭和4年(1929)に、そして昭和7年(1932)には「高野山金剛峰寺金堂」を、 いずれも日本建築界の大御所、京都大学建築学科教授 武田五一博士の指導により見事完成させました。
 魚津弘吉は昭和58年(1983)にこの世を去るまで、誇りと信念を持ち続け、昭和14年(1939)竣工の「熱田神宮神楽殿」(戦災により焼失)を始め 数々の社寺を中心とした建築を手掛け、多くの実績を残しました。
特に「覚王山日泰寺鳳凰台」は平成11年(1999)に名古屋市指定文化財に、また武田五一博士設計で昭和7年(1932)に完成した「藤山雷太邸」は、 昭和51年(1976)に東京から名古屋市昭和区の龍興寺への移築工事を担当し、存命中の昭和54年(1979)に「旧藤山雷太邸」として愛知県指定文化財に指定されています。

 私共はそんな初代社長の意思と技を受け継ぎ現在まで邁進してきた結果、多くの方々に信頼を受け、 近年では「名古屋能楽堂能舞台」や「大本山永平寺接賓」、「鶴岡八幡宮斎館」「重要文化財 鶴岡八幡宮上宮本殿保存修理」を始めとする 数々の工事の御用命を頂くことができました。

 現在、私共が考えていることは日本古来の伝統の技と最新技術を調和させることであります。
今までの経験で培った伝統の技と、日々の研究・実験から生まれた耐震技術を中心とした当社独自の最新ノウハウを活かし、 伝統的な建造物を後世に遺すと共に、新築についても息の長い建物を造り上げていきたいと考えております。
 株式会社 魚津社寺工務店
代表取締役   魚津 忠弘