「白雲閣」について


名古屋市緑区の水主池(かこがいけ)公園の池畔に、本館と新館からなる「白雲閣(はくうんかく)」があります。

本館は茅(かや)屋根の上に鉄板を葺いた木造3階建の切妻(きりづま)合掌造民家で、昭和35年(1960)に料亭として使用するため、岐阜県白川村から移築・整備されました(1)
新館は木造2階建、切妻造桟瓦(さんかわら)葺で、同38年(1963)に富山県八尾(やつお)の民家を移築・改造し、旅館として利用していました(2)

これらの移築設計監督を行なったのは、富山県出身の木工家・建築家である安川慶一(やすかわけいいち、1902-79)で、生涯を民芸運動にささげたことで知られています。 安川の師は民芸運動の中心人物である柳宗悦(やなぎむねよし、1889-1961)で、他にも陶芸家の河井寛次郎(かわいかんじろう、1890-1966)らとも交流を深めます(3)
白雲閣の女主人に、民家の移築設計者として安川を紹介したのは、河井でした(4)

当時は、民芸運動の興隆により民家が多く移築され、野外博物館や料理店として利用されました。
白雲閣は料亭・旅館として移築・整備された民芸建築のなかで、現存する数少ない遺構のひとつですが(5)、平成23年(2011)に営業を終了しています。
それを令和3年(2021)に当社が購入した後、同5年(2023)には名古屋市認定地域建造物資産になっています。

脚注
(1) 加藤恭太郎「合掌造り「白雲閣」竣工」(『民藝』第97号 日本民藝協会、1961年1月)
(2) 「「白雲閣」の旅館建築成る」(『民藝』第133号 日本民藝協会、1964年1月)
(3) 「特集 木工家・安川慶一-蒐集と創作」(『民藝』第860号 日本民藝協会、2024年8月)
(4) 河井寛次郎「生き返された家」、安川慶一「民家の移築」(『民藝』第99号 日本民藝協会、1961年3月)
(5) 川島智生「民芸建築」伝承の機運 富山の工芸家・安川慶一による作品」(『中日新聞』Web、2022年11月26日 最終検索日:2025年6月18日)。